オナ禁が最高のコミュニケーションかもしれない
コミュニーケーションの基本
自分の考えを主張し、相手の考えも尊重することができるコミュニケーションです。お互いの納得と理解のもとに業務を進められるので組織のチームワークを高める土壌を築くことができます。
自分の意見も相手の意見も大切にして、相互理解することに務めるコミュニケーション
それがアサーティブなコミュニケーションである。
下に示すような
- 自分の意見だけを押し通そうとする「独りよがりなコミュニケーション」
- 相手の事を優先するだけの「意見の無い人間」
このような考え方は、時代の流れに合っていない。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」
by フィリップ・マーロウ
まさしくフィリップマーロウの名言通りで、
自分の意見を主張する強さも必要であるし、
相手を受け入れる優しさも必要である
オナ禁とコミュニケーション
オナ禁をしていると、観察力が上がる事が多い
オナ禁により「本来自分が持つ感覚」が鋭敏になり、相手を見る目が厳しくなるから。
「なんかこいつイケ好かないな」とか思うのもオナ禁時期に特有な事で
本能が相手を拒否しようとする感覚があって、相手を見る目が厳しくなっている
相手への見る目が厳しくなるわけだから、一見するとオナ禁コミュニケーションは相性が悪く見える。しかし、実際にはオナ禁とコミュニケーションは好相性である事を私は強調したい。
私たちがオナ禁を行う際、精神は良いものへの意識が一層と強くなる。
悪いものへの意識が強くなる事による反力だ。
小学校の時の「エロ本を見た時の感覚に近い」と私は思っている。
性への異常なセンサーの働き方。悪いものを即座に感知するような感じである。
ここからは私の体験談
大学生の同級生の話である。
そいつは一見良さそうな奴に見えた。頭も良さそう、運動もしている。
良い友達になれると思っていた。
しかし、私の直感は違っていた。こいつなんか変だぞ。
普通に話しているだけでは気づかないが、口調が異常におかしい。
自分の話が多いし、自慢の質も悪かった。
「 こいつはヤバイ奴だろうな」私は結論づけた。
それから数ヶ月後、そいつはヤバイ奴である事が判明した。
詳しい事は書けないのだが、自分勝手な人間だったのだ。
オナ禁によって「観察力」が上がった自分にとっては一目瞭然であった。
オナニー をやめ、精子を体に溜め込むことによって「負のエネルギーへの反応」が強くなるわけだ。
オナ禁によって「負のエネルギーへの気づき」が生まれ
「良いエネルギーへの気づき」も得ることができる。
悪いものを取り払った隙間に「良いもの」が流れ込んでくるからである。
良いものも悪いものもオナ禁により感知ができるのだ。
フィリップマーロウの言いたかった事
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」
by フィリップ・マーロウ
私はこの言葉を
「悪いものを悪いと言わなければ生きていけないし、悪いとわかっていてもそれを我慢しなければ生きていく資格がない」
このように解釈した
強さは「悪いものを悪いと言い切れる力」少なくとも「悪いと思える力」である。
周りに流される人間が多い中で、自分の確固たる判断基準を持つ男は強い
しかし時には「悪いとわかっていても、そこを見過ごす」ことも必要となる
あえて、悪さを受け入れる事で「相手を理解する」
悪いものに対する「男としての対応」が強さとなったり、優しさとなる。
私はそう解釈する
悪いもの対する「私たちのスタンス」はとても大事なのだ
だからオナ禁は大事であると言える
何が悪いものなのか。
善悪をきちんと判断できなくては「強さと優しさは手に入れる事ができない」
最高の判断を行うために感覚を研ぎ澄ませ物事に対処する。
オナ禁はそのような能力を高めるための「方法」として機能するだろう